現在の都営大江戸線赤羽根橋駅からまもなく、三田小山町辺の済生会中央病院、都立三田高校の辺りが、明治維新まで久留米藩有馬家二十一万石の上屋敷でありました。

    藩主が江戸詰めの間、代々、江戸城にも近いこの上屋敷に滞在していました。
    この屋敷の名物にはいくつかありますが、その第一が、文政1(1818)年、第九代頼徳(よりのり)公により久留米から分霊した水天宮であります。

    江戸っ子たちの間で篤い信仰を集め、塀越しにお賽銭を投げ入れる人が後を絶たず、ついに毎月五の日には参拝を願う江戸庶民のため門戸を開放しました。
    それが「どうでありまの水天宮」とうたわれ、安産の願いを叶えてくれるという評判で、有馬家と「情け深い」ことを掛けて「情けありまの水天宮」との洒落た言い習わしが広まり、「恐れ入谷の鬼子母神」と共に江戸の二大流行語となりました。

    もうひとつの名物は、八代藩主頼貴(よりたか)公の時に幕府より大名火消を命ぜられて、三田台地に高さ三丈の火の見櫓を組んだことです。
    他家のものは二丈五尺以内であったため、有馬家の火の見櫓は日本一と称され江戸中から見えたといわれます。

    「湯も水も火の見も有馬の名が高し」といわれ、有馬温泉、水天宮、火の見櫓も含む掛け言葉になっていました。火の見櫓については、今日、東京タワーが間近にそびえるという巡りあわせになっているのも一興です。



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