天御中主大神とともに、安徳天皇、建礼門院、二位の尼をご祭神といたしましたのは、おおよそ七百年前もの由縁に遡ります。

    平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及によって京から西へ西へと逃れざるを得ませんでした。

    ついに壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれ、母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。
    戦の後、建礼門院に仕えていた官女、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢(いせ)がひとり源氏方の追っ手から、九州の千歳川(現在の筑後川)辺り、鷺野ヶ原に遁れて来ました。

    局も壇ノ浦で共に入水しようとしたのですが、二位の尼にとどめられ、生きてわれら平家一門の霊を慰めよとの命を受けてのことでした。
    こうしてこの地に祠を建て、安徳天皇をはじめ平家一門の霊を祀る日々を送りました。

    伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷など行っていましたが、御霊験あらたかにして尊崇する人々が多くなり、尼御前(あまごぜん)と称えられて慕われ社名を尼御前神社と呼ばれるに至りました。
    これが今につづく水天宮の起源と伝えられております。

    子供の守護神、安産の神様のみならず、古来、農業、漁業、航海者の間で信仰され、さらに病難、火災などの除災招福のご利益をもって聞こえております。
    その後、久留米藩第二代藩主有馬忠頼(ただより)公により、現在の久留米市瀬下町に七千坪の敷地が寄進されて社殿が設けられ、水天宮本宮として今につづいております。
    そのご分霊が、江戸は赤羽根の久留米藩有馬家屋敷に祀られ、その後、青山から日本橋蠣殻町へと移りました。

    ご祭神である、安徳天皇は、御年わずか八歳で海中に沈まれましたが、その若さでの犠牲ゆえに万民を救うという尊いご神慮と称えられて大きな信仰を集めました。
    安徳天皇を慈しみ育まれた建礼門院、ともに海中に沈まれた二位の尼もまた尊崇され、水天宮に祀られております。



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