suitengu-logo.jpg

水天宮のご案内

水天宮の発祥は九州の久留米藩(現在の福岡県久留米市)です。9代目久留米藩主の有馬頼徳が、1818年、自家で祀っていた水天宮を三田赤羽の上屋敷に分祀したのが、東京の水天宮の始まりです。

水天宮のご祭神

水天宮 鈴の緒.jpg

水天宮には四柱の神様がお祀りされています。

天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

 

誰もその形を知らない宇宙の始まりに、高天原と呼ばれる天の最も高いところに現れた神様が、天御中主大神であります。

日本の神々の祖先神であり、安産・子授けなどに広大無辺なご神徳をあらわされます。

 

安徳天皇(あんとくてんのう)

高倉天皇と建礼門院の皇子としてお生まれになり、三歳にして第八十一代天皇に即位されました。

寿永4年(1185年)、八歳の砌、祖母の二位の尼に抱かれ、壇ノ浦にその身を海中に投げられました。

 

建礼門院(けんれいもんいん)

父清盛、母時子(二位の尼)の間にお生まれになり、十八歳で高倉天皇の中宮となられました。

建礼門院とは安徳天皇を生んでからの院号であり、壇ノ浦の合戦後、余生は平家一門の菩提を弔いました。

 

二位の尼(にいのあま)

平清盛の正室で、御名を時子と申されます。清盛の死後出家し、従二位に叙せられたので、二位の尼と呼ばれます。孫の安徳天皇と京から西に逃れて、壇ノ浦にて入水されました。

水天宮の由来

fig-01-l.jpg

天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)のご神徳を受けた有馬家

赤松家を祖とする摂津有馬家は、応仁の乱の引き金となった嘉吉元(1441)年の嘉吉の乱の後に有馬の郷(現神戸市北区)に落ち延びて隠れ住み、その土地から姓を取って有馬と名乗りました。 後年、有馬家は太閤秀吉に見出され、中央に戻してもらいます。その幸運を授けて下さった有間(有馬)神社のご祭神である天御中主大神のご神徳を代々忘れぬよう、有間神社の社紋である「三つ巴」を有馬家の家紋としました。
現在でも、当主にのみ三つ巴の紋を付けることが許されております。

fig-02-l.jpg
久留米藩へ入封、水天宮社殿を造営

元和6(1620)年、大名家としての有馬家(有馬豊氏公)は、久留米藩二十一万石を拝領しました。

第二代藩主の有馬忠頼公は、当時「尼御前大明神」と尊称されていた水天宮に対して、城下の筑後川に臨む広大な土地を寄進し、社殿を造営しました。

fig-03-l.jpg

水天宮を江戸へ勧請(かんじょう)

敬神の念は代々の当主に受け継がれ、文政元年(1818)、第九代藩主有馬頼徳公は、参勤交代の折に江戸で水天宮を親しくお参りできるよう、芝赤羽根橋の上屋敷内へ国元久留米より御分霊を勧請致しました。
爾来、水天宮は当主と共にあり、明治4年には青山、翌5年には日本橋蛎殻町へと移転致しました。
その後、関東大震災をはじめ数多の苦難を乗り越え、現在に至っております。
「情け有馬の水天宮」~深い温情~  文政元年、久留米藩有馬家上屋敷内に祀られていた水天宮は、人々の信仰が篤く、塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶ちませんでした。時の藩主は毎月5日に限り、お屋敷の門を開き、人々のお参りを許しました。
そのことから有馬家と「情け深い」ことを掛けて、「なさけありまの水天宮」という洒落が江戸っ子たちの流行語となりました。​「湯も水も火の見も有馬の名が高し」~日本一と称された火の見櫓~  幕府により大名火消しを命ぜられた第八代藩主・有馬頼貴(よりたか)公は当時としては異例の高さである三丈(約9m)にも及ぶ火の見櫓を組みました。
有馬温泉・水天宮・火の見櫓を掛けて「湯も水も火の見も有馬の名が高し」という言葉がうまれました。

norito.png

江戸鎮座200年記念奉祝祭

水天宮が、文政元年に久留米藩江戸上屋敷に鎮座してから200年となりました。久留米藩有馬家の邸内社としてお祀りしていた頃から、身分の隔たりなく多くの江戸の町民に親しまれ、明治5年に現在の場所に遷座してからも、ますます信仰は深く、首都圏外、全国各地からの参拝者も増えていきました。そして平成28年には約3年間のご造替事業が竣工し、免震構造を備えた安全な神社へと生まれ変わりました。

200年の長きにわたるその広大無辺のご神徳に感謝を込めて節目の年をお祝いし、平成30年5月3日に奉祝祭を斎行いたしました。

社殿および参集殿の御造替

江戸鎮座200年記念事業といたしまして、約三年をかけて社殿と参集殿の御造替を行いました。平成28年4月より新しい社殿にて皆様をお迎えしております。
神社建築様式の社殿と現代建築を取り入れた参集殿は、高度な意匠によって融和し、時代に即した神社へと一新しました。そして境内地一面には、最新技術の免震構造を取り入れると共に待合室の環境改善も行いました。

境内のご案内

_C8A0429.JPG
本殿

大神様の御神威の益々の発揚を願い、新たな光へと導かれる白木を基調とした神社建築様式を取り入れております。また代々受け継がれている伝統文化の錺金具や彫刻等も施しております。免震構造など最新技術を用い、古きよきものと新しきものを取り入れた、時代に即した社殿です。

子宝いぬ8H2A03430_1440p.jpg
子宝いぬ

愛らしい子犬を見つめる母犬からは情愛が伝わってきます。周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるといわれております。

fig-03.jpg
狛犬

一方は口を開けて前足で玉を守り、もう一方は口を閉じ子犬を守る姿が印象的な一対の狛犬です。其々、吐く息と吸う息「阿吽(あうん)」を表し、魔除けとしての意味合いもございます。※ブリヂストンの創立者である石橋正二郎氏によるご奉納。

_C8A9178_edited_edited.jpg
安産子育河童

足下と胸、肩に赤ちゃん河童がしがみついている姿が印象的な、仲睦まじい河童の親子像。

_A8A0780_edited.jpg
寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)

江戸の頃、有馬家上屋敷内には市杵島姫(いちきしまひめ)神も祀られていました。代々の当主は辨財天を篤く信仰し、第九代藩主 有馬頼徳公が寳生流能楽の技を加賀藩の前田斉広(なりなが)公と競う際、稽古に励み辨財天に願をかけ、勝利をおさめたといいます。学業・芸能、又「寳生」の名のごとく財福のご神徳がございます。※毎月5日と巳の日には扉が開き、ご神像が拝観できます。

施設のご案内

_C8A4705.JPG
神札所

木の香りと照明の光によりあたたかみのある神札所です。こちらで、ご祈祷受付や御守頒布、ご朱印を承っております。
受付時間についてはトップページをご確認ください。

_C8A9209.JPG
待合室

明るく開放的な待合室となっております。
待合室内では最新のデジタルサイネージで当社の由来、昭和初期の大祭映像等をご覧いただけます。
※授乳室もございます。

_C8A4767.JPG
スロープ

待合室から社殿へ進む際は、参拝者の方々に歩きやすいように緩やかなスロープとなっております。また、スロープを歩く時には、大きな窓ガラスからやさしい光が差し込むのと共に、境内を一望できる空間となっております。

_C8A0710.JPG
水天宮の免震構造のしくみ

当社の構造は、「免震装置」で支えられている免震構造であり、地震の時には、「揺れ」が軽減されます。大地震の時には、約60㎝程度、建物が水平方向に動くことを想定しているため、1階通路脇には、建物が動くスペースとして、約60㎝程度の溝形状の植栽帯を配置しています。
《地震発生時に注意していただきたい点》
免震建物は地震時の揺れは軽減されますが、次の点には充分注意して下さい。

当社の1階通路脇の溝形状の植栽帯付近では、立ち止まらないでください。溝形状の植栽帯に落ちてしまい、建物に挟まれる危険がございます。

※大地震時には、建物が最大60㎝程度水平方向に動きます。

  • 建物の周りや、溝形状の植栽帯には物を置かないでください。

  • 大地震時に、免震構造の動きを妨げる可能性があります。

  • 免震エキスパンションジョイントと呼ばれる1階通路と道路および歩道を接続しているブリッジ部分には、大地震時、立ち止まらないでください。免震エキスパンションジョイントが動くため危険です。